京都祇園のコンパニオン派遣 メイクでアルバイトと夢を両立

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京都祇園メイクのコラム

京都 祇園コンパニオン派遣メイクのコラム vol.12

投稿日 :
2019-04-26 11:17:57
カテゴリ :
コラム
WRITER :
管理者
お客様に心おきなく楽しんでいただくことをモットーに、最高のおもてなしをつとめる京都 祇園「メイク」のコンパニオン。
子ども達の夏休みが始まりました。いよいよ夏本番ですね。

夏といえば夜空に咲く花火。沸き上がる拍手や歓声に混じって「たまや~」「かぎや~」という掛け声がかかります。

「たまやって何?」

今日はそんな花火の時に響く掛け声についてお話したいと思います。

慶長18年(1613年)8月6日、日本で初めて花火を観賞したのが徳川家康です。
日本では種子島の鉄砲に使われた火薬が花火へと発展しました。家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だといわれていて、その後花火は急速に発展し、江戸で開花します。

享保18年(1733年)5月28日、両国の大川(現在の隅田川)にて川開き花火大会(隅田川花火大会の原型)が開催され、そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛です。

そして、文化5年(1808年)「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗ります。やがて川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の競演となり、これを応援するための掛け声が「たまや~」「かぎや~」だったのです。

でも、天保14年(1843年)に「玉屋」の出火で大火事となり玉屋市兵衛を江戸から追放され、廃業することになりました。

「鍵屋」の弟子で後発の「玉屋」。
しかも火事を起こして追放されてしまった「玉屋」。
しかし、現役のころから「たまや~」の掛け声のほうが多く、その後も掛け声の代名詞として現在に至るのはなぜでしょう?

ひとつは花火の技術が勝っていたこと。
もうひとつは、語呂が良いので掛け声を掛けやすかったことでしょうか。

「鍵屋」はその後も様々な花火を開発して日本の花火界をリードし、現在は女性当主が鍵屋15代目として活躍中です。音にこだわり、日本古来の花火である“和火”復活に力を注ぐなど花火の魅力を高めていますので、ぜひ「かぎや~」と掛け声をかけてあげてくださいね。

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お客様に心おきなく楽しんでいただくために会場に彩りを添え、温かなサービスをご提供できるように、京都 祇園のコンパニオン派遣会社のメイク(make)では、コンパ二オンの質を高める為にコンパ二オン研修制度を設け、テーブル上のマナーや会話の仕方・礼儀・作法など、常にコンパ二オンの質の向上を目指しています。
是非、私たち「京都 祇園のコンパニオン派遣会社のメイク(make)」にお任せ下さい。

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