Column
京都祇園メイクのコラム
京都 祇園コンパニオン派遣メイクのコラム vol. 37
毎日、暑い日が続きますが、みなさんいかがお過ごしですか。
京都の祇園でコンパニオン派遣を行っているメイクです。
先日、友人が京都に遊びに来ました。
祇園界隈を案内して、夕食には鴨川納涼床に行ってきました。
北は二条通から南は五条通までの鴨川の西側に並ぶ納涼床。
京都の夏を代表する風物詩です。
友人は情緒豊かな床を気に入ってくれました。
これまで、納涼床について深く知らなかったのすが、友人に説明するために少しお勉強しました。
にわか仕込みの知識で恐縮ですが、今回はみなさんにもお伝えしたいと思います。
●鴨川納涼床のはじまりは?
かつて鴨川は暴れ川といわれ、頻繁に氾濫を起こしていました。
ようやく寛文9年(1669)に治水が行われ整備されると、四条河原町に芝居小屋もでき、祇園祭には神興洗いの見学者でたいへん賑わったそうです。
その頃にはすでに床があったようですが、浅瀬に床几を置いたようなものでした。
河原一面にろうそくの灯り、当時もとても風情豊かな風景だったでしょうね。
これが納涼床の原点といわれています。
●今のようなスタイルはいつから?
明治時代の初めはまだ、流れの上に床几を置いた形が主流でしたが、明治の終わりになってくると、高床形式の現在のスタイルである納涼床になっていったようです。
大正4年(1915)の京阪電車鴨東線が三条駅まで延伸され、鴨川の東側の床が姿を消しました。
夏だけでなく通年、床を出している店がありましたが、治水工事により川の流れが早くなったため、床几の床は禁止され、高床形式も昭和4年(1929)には通年出すことが禁じられました。
昭和9年(1934)室戸台風、昭和10年(1935)の集中豪雨によって、納涼床はすべて流されてしまい、その後ほぼ現在の姿になったそうです。
●現代の納涼床は?
戦後に発足された基準や組合の努力によって、鴨川の景観と美化が保たれています。
納涼床は自然の中で静かに会話を楽しむものですので、歌舞音曲は禁止されています。
ただし、昼開きの5月1日は例外です。
この日は長刀鉾のお囃子の稽古が行われ、床の上で長刀鉾のお囃子を聞くことができます。
以前の床は高級なイメージでしたが、最近はカフェやイタリアン、ショットバーなどカジュアルな床も増え訪れやすくなりました。
納涼床は5月から9月まで利用でき、5月と9月のみは昼床も楽しめます。
鴨川は「神宿る川」、都の東の守り神「青龍」として古代から崇められてきたそうです。
そんなことを少し頭に入れながら、納涼床に訪れると景色も今までとは違った風景に見えるのではないでしょうか。
沈む夕陽、黄昏時の情緒、のぼりゆく月を眺めながら寛ぐ…。
そんな優雅で贅沢なひとときを過ごしてみませんか。
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