Column
京都祇園メイクのコラム
京都 祇園コンパニオン派遣メイクのコラム vol.62
こんにちは。
メイクの事務所は祇園にありますが、ご存知のようにここは京都を代表する歓楽街です。
ですので、歩いていると多くのバーを目にします。
ひと仕事を終えて、「今日は一杯飲みたい気分」っという日はありませんか。
ですが、ひとりでバーに入る勇気はなかなかもてないものです。
そこで、バーデビューしたい人のためのレクチャーをしたいと思います。
●バーの種類
バーとひと言でいっても、いくつか種類があります。
簡単にご紹介しますね。
・オーセンティックバー
伝統的な正統派なバーです。バーカウンターがあり、熟練したバーテンダーがカクテルを作ってくれます。
・ショットバー
気軽に立ち寄れて、サクッと飲んで出て行けるカジュアルなスタイル。
・ダイニングバー
フードメニューが充実していて、食事も楽しめるバーです。
代表的なバーの種類をご紹介しましたが、このほかにワインバーや日本酒バーなどの専門性が高いバー、立ち飲みスタイルのバーなど最近は多様なバーがあります。
●初めてバーに行ってみる
とりあえず、ドアを開けてみましょう。
メインのカウンターとバーテンダーが目に入ると安心ですね。
でも、入った瞬間、「無理!」と思ったら、「間違えました」といって帰るのもひとつの方法です。
次に席を選びましょう。
案内されるのを待つか、「ここいいですか」とひと言かけると無難です。
●最初の一杯
席につくと、いよいよ注文です。
「何にいたしましょうか?」
まずはこの会話からはじまりますね。
ですが、何を最初に頼めばいいのでしょうか。
基本的に飲みたいものでOKです。
ビールやカクテルでももちろんかまいませんが、強いていえば、アルコール度数は強くないものがベターのようです。
迷う人のご提案として、価格的に安心なハイボールやジントニックを注文してみましょう。
●お任せは避ける
二杯目を注文するとき、メニューにあるものや、バックバーに並ぶお酒をみて注文してみてもいいですね。
お酒の知識が少なく、何を頼めばいいのかわからないとき、つい「お任せします」と言いたくなりますが、それは避けましょう。
バーテンダーはお客さんの好みが把握できないと「おまかせ」で提供できません。
困ったときは、自分の希望を具体的に伝えることが大事です。
ベースのお酒、価格、甘いかさっぱり、苦いなどの味、アルコール度数が高いか低いかなど伝えましょう。腕のよいバーテンダーなら、きっとリクエストに沿ったお酒が登場すると思います。
一杯にかける時間はおよそ15〜20分が目安です。
ですので、三杯で約1時間、これがバー一軒の滞在時間、およびスマートな利用法といえます。
何事も経験です。
ちょっと勇気を出して行動してみてはいかがでしょうか。
「今日は一杯、飲みたい!」と思ったときがチャンス、一度挑戦してみてください。
京都 祇園コンパニオン派遣メイクのコラム
2019.11.4
こんにちは。京都の祇園でコンパニオンを派遣しているメイクです。
メイクの事務所の近くにとっても有名な清水寺があり、その参道には「清水焼」の店舗がたくさん軒を連ねています。
この清水焼という言葉はよく耳にされると思いますが、どんな特徴の焼き物なのかご存知でしょうか。
私は恥ずかしながら、正直よくわかっていません。
急になぜ、焼き物について考えるようになったのかというと、10月から始まったNHKの朝ドラが影響しています(笑)。信楽焼の陶芸家として奮闘する女性の物語です。
そういえば、メイクの事務所のご近所さん、清水焼について何も知らないことに気がついたという次第です。
ですので、清水焼について調べてみましたので、今回もよろしくお付き合いくださいね。
●清水焼とは
江戸時代の初期頃、京都市内には粟田口焼・八坂焼・音羽焼・御室焼・御菩薩池焼・修学院焼、そして清水寺参道付近で焼かれていた清水焼があり、それを総称して京焼とよばれていました。
現在では東山一帯と山科、宇治などで生産されているものを京焼・清水焼といわれています。
●清水焼の特徴
では京焼・清水焼にはどんな特徴があるのでしょうか。
実のところ、備前焼や信楽焼、有田焼などのように決まった土や釉薬、特定の技法・様式はありません。
というのも、京都では原料である陶土を掘ることがほとんどできないので、他の産地から土を取り寄せ、独自にブレンドして個性豊かな作品を生み出してきました。
また、京都はながく都だったことから、日本中からより選りの材料と職人が集まる街であり、その文化を後援する社寺仏閣、皇族、貴族などの存在があったことがあげられます。
●清水焼の歴史
京焼の歴史として、1605年博多の豪商・神屋宗湛の「宗湛日記」の中に“肩衝京ヤキ”として初めて登場し、1635年には銀閣寺住職の記した「隔蓂記」には粟田焼、八坂焼、御菩薩焼と数多く出てきます。
京焼の有名な人物に京焼随一の名工と評される野々村仁清と尾形乾山があげられます。
時は流れ、幕末から明治維新にかけ東京遷都と大きな社会の変化に伴い、茶陶の需要が激変し、廃業を余儀なくされた職人も多数いました。
しかし、明治時代になり、陶芸家たちは生き残りをかけ、京薩摩という豪華絢爛な色絵磁器を作り出し、欧米における日本趣味(ジャポニスム)の大流行により高く評価されました。そして、数多く輸出さえるようになり今日の地位へとつながったのです。
ずっと気になっていたのが、京焼・清水焼に際立った特徴が見受けられないことでした。
ですが、疑問が解けました。京都には作陶するふさわしい土がないため、他の産地の土をブレンドし作られたこと、さらに日本の中心地、都だったことから優れた職人が集まっていたことから多様な作品が生まれたわけですね。
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